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80億人の表現者

考え方の違いや曖昧さの許容量を増やす訓練に、「研究」はいい手段かもしれない。

Interview 2023/04/17
服部 雅史さん(立命館大学 総合心理学部 教授)
Interview 2023/04/17

服部 雅史さん(立命館大学 総合心理学部 教授)

はっとり・まさし
愛知県名古屋市生まれ。北海道大学 大学院文学研究科 行動科学専攻 博士課程単位取得退学。博士(文学)。 1997年より立命館大学文学部 助教授。2008年、同大学文学部 教授に就任。
2020年現在、同大学総合心理学部の教授として活躍。主な専門は人間の思考に関する認知心理学。主な著作は『基礎から学ぶ認知心理学—人間の認識の不思議 (有斐閣ストゥディア)』『最新認知心理学への招待―心の働きとしくみを探る (サイエンス社新心理学ライブラリ)』など。

わからない、そこが重要だと思っています。

「文字がくっきり見やすいと、頭に入ってくる気がする」。ある高校生のそんな感想をきっかけに、濃く黒い文字と「記憶」の関係を解き明かしたいと考えた当社の商品開発チームが共同研究の協力を求めたのが、立命館大学の服部教授でした。
服部教授は「思考のメカニズム」を研究してこられた認知心理学のエキスパート。ひとが何かを考えるとはどういうことか。研究者である教授ご自身はどんな風に思考を深めているのか。気さくなお人柄に甘えて、興味のおもむくまま質問をぶつけてみました。

写真ALT

取材の前に、「認知心理学って何を研究するんですか?」と聞いてみました。「心理学というとカウンセリングや他人の心を読むことと思われがちですが、そうではないんです。ひとの心の仕組み、その原理を探っていこうという学問です」と服部教授。記憶の仕組みや、目の錯覚も認知心理学の守備範囲とのこと。

_認知心理学の中で、先生のご専門はどういう分野なんですか?

服部教授(以下敬称略)

私の専門は「思考」、考えるということです。例えば、私たちはなぜ合理的な推論ができないのかとか、なぜ判断を誤るのかといったことですね。また、アイデアはどんな時に浮かぶのか、逆になぜ浮かばないのかといった「創造性」についても研究しています。

_その研究テーマのひとつとして、 「読みにくさ」と「記憶」の関係も研究されていたんですね。

服部

そうです。「読みにくい文字」で書かれたものは却って記憶が促進されるというような研究が先にあったんです。それって直感に反しませんか?インパクトがありますよね。 でも、そんなことがなぜ起こるのか、原理がよくわかっていなかった。そこで私たちは、ワーキングメモリーの量(一度に沢山のことを考えられる人とそうでない人の個人差)によって記憶の効果が変わるんじゃないかと考え、当時の大学院生と一緒に実験で確かめました。その研究論文を三菱鉛筆さんが見て、「読みやすい文字と記憶の相関関係を調べたい」と連絡をくれたわけです。私が普段やっている基礎的な研究は、すぐ社会に役立つというものではないので、役に立つなら面白いと思ってお話を受けた記憶があります。

_連絡したのは、『ユニボール ワン』の商品開発チームですね。実験では結果として、くっきり濃い文字は記憶を助けることが示されたわけじゃないですか。でもその結果って、元々研究していらした内容とは反対の結果のような気がしてしまうんですけれど…。

服部

そうですね、反対だと思います。

_逆の結果が出たのは、「こういう時は読みにくい方がいい」「こういう時は読みやすい方がいい」ということがあるということなのでしょうか?

服部

そうなのだと思います。でも、そこはわかっていないんです。そこが重要だと思います。

読みにくい方が成績がいいというのは、例えばすごくやる気があって、覚えなきゃいけないけれど、見えにくいから余計に頑張っちゃうってことが起こっているのかもしれません。でも、学校で配布する教材の文字は見にくくした方が良いという話にはならないですよね。頑張り方がそれほどでもない場合は、見にくいとやる気がなくなるかもしれない。どういう時にそれが起こるのか、その現象が起きるための条件については今後も詳しく調べていきたいところですね。

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実験で使われた材料の一部(実際に使われたのは紙)。単語が濃い・薄い文字で書き分けてあり、これを見た被験者があとで記憶再生のテストを受けます。学術的な実験は普段のリサーチとはレベルの違う精度が求められると商品開発担当者。単語を選ぶにあたっても、事前にWeb調査が行われました。服部教授の指導の下、バイアスの排除や、被験者に対する倫理にも細心の注意が払われたと言います。

服部

実験というのは、「こうやれば結果が出る」とわかっているわけじゃないんです。調べる手段は色々ありますから、『ユニボール ワン』の時も、どんな実験したらいいか何度も打ち合わせしました。対象にするのは潜在記憶なのか、顕在記憶なのか。記憶させるために書かせるのか、見せるのか。テストは再認なのか再生なのか。人の心に関係する要因の因果関係は途方もなく複雑なので、実験結果に影響を及ぼす要因は無数にあります。そういうことを全部調べていかなければわからないことなんです。

_全部って、果てしない!でも、それがわかったら、いずれは筆記具の使い分けでさらに学習効率が上がるかもしれないわけですね。

服部

そうですね。期待しましょう(笑)

創造というのは、ひらめきを精緻化するプロセスだと思います。

_では、「書くこと」自体が、表現や学習にどう役に立つか、今の時点でわかっていることがあったりするのでしょうか。

服部

そうですね…「記憶」「思考」「伝達」「情緒」、その4つが知られています。
書くことによって記憶が促進される。書くことによって考えがまとまる。書くことによって人に伝わる。あるいは書くことによって心が落ち着く。そういうことはあると思います。

「記憶」についていえば、漢字の書き取りみたいに同じものを繰り返し書くことより、むしろ新しい図形、自分の知らない言語の文字や、目新しい図形は書くことによって記憶が促進されるという実験結果があります。単に「見る」だけでなく、「書く」こと、つまり見て、いったん頭の中に入れて、自分の手でそれを再現するというプロセスが重要なのかなと思います。正確なことはあまりわかっていないんですが、結果としてはそう出ていますね。

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_最初に、「思考」や「創造性」がご専門とおっしゃったんですが、アイデアが浮かぶというようなこともその中に入りますか?

服部

そうですね。

_よくアイデアが降りてくるとか、捻り出すとか言いますが、あれはどんな心の動きをしているんですか?アイデアを上手く生み出すコツがあるんでしょうか。

服部

私も知りたいと思うんですけど(笑)、今はその仕組みもまだわかっていないとしか言いようがありません。

多分私たちは色々なことを「無意識的」に考えていて、それは「意識的」に考えていることとはちょっと違っているんだと思います。それが「意識」に浮かんできた時に、自分でも「アイデアが降りてきた」と驚くんだと思うんです。

例えば、人の名前を思い出せなかったのに、全然違う場面でふと思い出すこともありますよね。アイデアを思いつくのもそれに似ているんだと思います。まさに潜在的なもので、頭の中にあっても、意識はされていない。だとしても、それがひらめいた時には、すごくうれしいじゃないですか。努力なしにパッと出てくるので、すごいことだと思っちゃう。「降りてくる」とか「向こうから来るんだ」って言うのは嘘じゃないだろうけれど、あまりに嬉しくて、そこに重きを置き過ぎているとも思います。


「洞察バイアス」というのがあるんです。洞察(≒ひらめき)はすごいものだ、クリエイティブな人はひらめきだけでそれができるという考え方、そういうある種の誤解がはびこっているというような研究成果もあります。


本当の創造というのは、単なるアイデアだけじゃ駄目ですよね。思いついた中でも取るに足らないアイデアをどんどん捨てて、磨いていくプロセスの方が多分重要なんです。磨くためには努力が必要なんだけれど、そこは軽視されがちです。 ひらめきをどんどんエラボレーション(elaboration:精緻化)していって作品に仕上げる。エジソンが「天才というのは1%のひらめきと99%の汗」と言ったように、大事なのは多分、汗のほうだと思います。
ぱっと出たアイデアも、磨けばいいアイデア、いい作品になるんだろうけど、何もないところからポッと完成形で出てくることはほとんどないんじゃないでしょうか。そこが、何て言うか「創造」の誤解されやすいところかなって思いますね。

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失敗は「予想通りでない」ことの確認であり、次のステージに行くためのチャンス。

_多くの研究者さんが様々なテーマで研究をされていると思うんですが、そもそも独自の研究のテーマというのは、どうやって思いつくんですか?

服部

研究は「わからないけど、やってみようか」という感じで進んでいくことが多いです。やってみて、後から見たら「あそこから変わってたのかな」と思うポイントはあります。でも、ある瞬間にすごいテーマが生まれて「始まりました!」という感じはあまりないですよ。本当に試行錯誤です。やってみて失敗して、ちょっと直して、ということがほとんどです。実験なんて3回に2回くらい失敗かもしれない。

写真ALT

_それでも諦めずに研究を続けられるモチベーションはどこにあるんですか?

服部

それは、失敗からも学ぶことがあるっていうことかな。
「予想通りではない」ということは、失敗というより次の段階に行くためのチャンスと言った方がいいのかもしれないですよね。予想通りだったらそれで終わりかもしれないけれど、違ったなら「では次はこうしてみようか」ということになりますからね。

今までこうだと思っていたことが、実験をやってみたら全然違っていたとしたら、「なぜだろう?」と自分の考えが入る余地が出てくるじゃないですか。新しい興味が出てくる。それでどんどん次に進んで行く感じですかね。
他の分野でもね、研究って、多分そういう風に進んでいくものだと思うんですけどね。

もともと私は、認知心理学という範囲の中でも研究テーマが跳んでいたりするんです。生涯のテーマというようなものがあって、どっちに進むかを決めているわけじゃない。とはいえ研究するためには、今までどんな研究がされてきたのかという知識が必要になるじゃないですか。積み重ねていくものだから、それまでやってきたことが次に繋がるんだけれど、全部が前の延長ってわけでもないですね。

_そうか、先生たちは失敗や予想と違うことに対して拒否反応がないんですね。いや、正直、一般的には、想定外というのはあまり歓迎されないじゃないですか。

服部

あぁ、なるほど。そこは色々考えるな。…自分と違う考えを受け入れないだとか、曖昧なことを嫌うだとか、そういう傾向があるとは思いますね。
失敗や違いや曖昧さの許容量というのは、訓練で増やしていくしかないのかもしれないですね。そういう意味では研究というのは訓練の一つの手段なのかなという気はしますね。

例えば、学生が卒業論文で何かの研究に取り組む経験をしますよね。そのプロセスで、予想通りにならないだとか、全然違う観点があるんだとか、やったけど結局わからないんだという曖昧さが残ったりだとか、ここまでは言えるけどこれは言い過ぎなんだとか、そういう経験をするわけじゃないですか。私は、その経験がすごく重要だと思ってるんですよね。
社会に出たら個々の知識は忘れちゃうと思うんですよ。それでいいんだけれども、姿勢とかものの見方は残ります。その意味で、学生たちには良い経験をしてもらえていると信じているんです。私がうまく教えられている自信はまったくありませんが、そういうことを伝えたいとは思っています。

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ひとの記憶や思考という測りにくそうな対象に向き合い、実験と先人の知見とを積み重ねて未知の真実を解き明かしていく研究の営み。服部教授のお話から、その地道さと誠実さを垣間見た気がしました。
既知の事実をなぞるだけのものや、都合のいい結果へ導くためのものではないからこそ、失敗を成果と捉える視点や、曖昧なものを曖昧だと明言する誠実さが育まれるのだと感じます。 幾多の試行錯誤によって導かれるひとつひとつの「結論」や論文というアウトプットは、精緻で真摯な、研究者ならではの表現だと言えるように思います。

記録する過程は、記憶に残る。だからこそ、作る過程を心から楽しむことに意義がある。

服部教授と開発した筆記具

ユニボール ワン

認知心理学の知見から、「手書き文字」と顕在記憶の相関を検証。認知心理学の実験手法である「記憶再生課題」で、「濃く黒い文字」の方が正答率が高い結果を得ました。(日本基礎心理学会第38回大会および第32回国際心理学会議 ICP 2020+ にて実験結果公表)

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