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80億人の表現者

日記のように絵を描く。私には、描くことがインプットにもなるんです。

Interview 2023/04/17
蟹江 杏さん(画家)
Interview 2023/04/17

蟹江 杏さん(画家)

かにえ・あんず
「NPO法人3.11こども文庫」理事長。「自由の森学園高等学校」卒業。ロンドンで版画を学ぶ。東京都出身。全国での個展、絵本やエッセイなど著書多数。『ハナはへびがすき』(福音館書店)が「第14回ようちえん絵本大賞」を受賞。企業とのコラボレーション多数。東日本大震災以降、被災地に絵本・画材を届ける活動を行い、絵本専門の文庫「にじ文庫(福島県相馬市)」を設立・運営。その他「みず文庫(福島県白河市)」、「おひさま文庫(千葉県東金市)」がある。文部科学省復興教育支援事業のコーディネーターも務める。2020年より「SDGs JAPAN」と連携し、様々なアーティストとともにアートをSDGsに役立てる方法を模索している。

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普段は絵を描くか、生物観察してるかです(笑)

蟹江杏さんの仕事場は、下町風情を感じる石畳の商店街に溶け込むように建っていました。通りに面した「刷り場」にはプレス機が置かれ、黒一色で刷られた原画が彩色の工程を待っています。蟹江作品の特徴のひとつは、極めて繊細な線で描かれていること。存在感のあるあの細い線がそういえば版画であったのだと、今さらながら思い至ります。

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絵本『ハナはへびがすき』に登場するへび。あの物語は、この絵が発端となって生まれたとか。キャラクターの魅力はもちろん、幾重にも重なる深い色や生々しいインクの跡に生命力を感じます。

画材に囲まれたアトリエで話し出した蟹江さんは、シャキシャキと明るく、子どものような柔軟さと大人の知性を絶妙なバランスで共存させている方。アートを仕事にされるというのがどういうことなのかを少しでも理解したいと、思いつくままお話を伺いました。

Q 蟹江さんは、東京と軽井沢、2拠点で活動されていると伺いました。

蟹江さん(以下、敬称略)

2拠点でほぼ半年ずつ生活していて、4月の中頃からは軽井沢が中心になります。ただ、軽井沢は湿気が多いのでプレス機が錆びてしまう可能性があるので、版画は東京が中心です。軽井沢では直筆の作品や、版画の彩色をすることが多い。無意識に遠くの木々を見るからか、軽井沢にいる時のほうが視力が上がる感じがして、彩色は東京より向こうの方がいいんです。
私、ちっちゃい頃からずっと鳥や虫が好きで、普段は絵を描くか、生き物観察してるかなんです(笑)。蜘蛛が巣を作る様子を観察したり、鳥の羽根を拾って標本にしたり。(スマホの画像を見ながら)これは蛾ですね。真正面から光を当てて写真を撮ると格好いいんです。

Q まさに「ハナはへびがすき」の主人公のような!仕事のために、ですか?

蟹江

いえ、それとは別です。
ただ、絵本を描いてる時はスケッチもしたかな。子ども達には、ある程度正確な情報をと思うので、手足の感じや指の数には気をつけて描きました。

Q 「ハナはへびがすき」の物語はどういうところから発想されたんですか?

蟹江

もともと蛇を描いた作品があって、出版社の方が「この絵を使って絵本を描かないか」って言ってくださったんです。それで、自分が小さい頃、生き物達とどう遊んでいたかを思い出しながら描きました。
私も、実際コマルハナバチを紐で結んで筆箱に入れてて、うっかり授業中に…。

Q え、本当にやったんですか!?

蟹江

ありませんか?(笑)今思えば可哀想ですが、私が思いついたと言うより、その当時は結構みんなでやってたんですよ。

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「大人になるにつれて、一緒に遊んでた友達は虫や蛇を嫌いになったりするんですけど、私にはその時期が来なかったんです(笑)」

Q 絵も、小さい頃からお好きだったんですよね、きっと。

蟹江

(即答)好きでした。小学校1年生の時には「画家になりたい」って作文に書いてたぐらい。私の場合、「作風を探す」ってことがなかったんです。小さい頃の画風とあまり変わらず、ずーっと描いてきた。なので、面白い苦労話とかあんまりないです。(笑)
ただ最近、私は立体弱視で、立体が完全には見えてないということが分かったんですよね。階段も線にしか見えていない。石膏像のデッサンを説明されても、私にはそう見えなかった。小さい頃は絵の成績も良かったのに、立体デッサンを始めたら人より数倍努力しないと追いつきませんでした。だから、立体弱視だったと分かって、なるほどなと思ったんです。
この平面的な作風は、作風を探したと言うより、見えている世界をデフォルメして描いたらこうなったという感じなんです。

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愉快で長い長い夜

版画は、絵を自分から引き離して眺められる技法。

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Q 見え方に素直に描かれてきて、技術はあとから学ばれたんですか?

蟹江

そうですね。私、ロンドンに3年近くいて、舞台美術を半分仕事みたいにしながらシェークスピアの研究をしていたんです。一方で、絵描きになろうとは思っていたから、カルチャースクールみたいなところで版画の技法を教わりました。
じゃあ、なぜ版画かというと、直筆だとワーッと描いてしまって自分の絵を客観視できなかったからなんです。
版画は、温度や湿度でインクが軟らかくなるとか、紙を水に何分浸けるかとか、プレス機の圧をどうするかとか、ちょっと職人に近いじゃないですか。その工程の中で、何度もクールダウンできる。20代の頃から40歳を過ぎるまでは版画で行こうと決めていて、5年ほど前、もう自己中心的な絵にならないなと思った時にキャンバスを始めたんです。

Q 蟹江さんの絵は、版画でも一枚一枚表情が違いますよね。

蟹江

版画だから同じに創ろうとは思わないですね。刷りによってももちろん違うんですが、色によってもだいぶ違うかな。彩色は自由にしています。私が他の画家さんと違うのは、色鉛筆とか、クレヨンとか、ポスカも使えば、アルコールマーカーを使ったりもする。新しい画材も好きで、私の絵には、ちょっとおかしいんじゃないかってくらい色んな画材が入ってるんです(笑)。

Q 選ぶ時に、好きなものやこだわりがあったりはするんですか。

蟹江

「透明」か「無透明」かはすごく気になります。要は版画の黒の線がどんな感じに見えるかっていうことが結構大事なんです。
細い線を描くのに「エモット」はすごい良いですね。三菱鉛筆さんだから言うんじゃなく、本気ですごく使います。人の目を描く時も、「エモット」で描いた上に、キラキラのペンで中心を入れるとか。

蟹江

「ポスカ」は、線の上に載せちゃうんです。完全に無透明なものと違って、下の色を拾って、自分じゃ出せないグラデーションが出てくる。インクを絵の具のように溜めて筆で使うこともあります。アクリル絵の具だとこうはならないんです。絵の具とはまた違うミルキーな感じ。なんか不思議なインクが入っていますよね。
プラスチックの板に下描きをする時には「ダーマトグラフ」を使います。これは私の技法を使う版画家は誰でも使うと思う。ダーマトで描いて、ニードルで引っ掻いてから、ウエスで拭いちゃうんですよ。こうすると、どこがどんな風に削れているか全部分かる。
そういえば、「ダーマトグラフ」って名前がもう商品名じゃないですか。一般名称で言おうとした時、「これを他に何て説明するんだ?」って慌てました(笑)

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Q 蟹江さんは、絵のテーマ自体はどんな風に発想されるんですか?

蟹江

私、お客様のご注文から展覧会のためのもの、絵本やちょっとしたカットも含めると、私、年間500作ぐらい描くんです。

Q 毎日毎日、1作以上描かれるんですか?

蟹江

そうなりますね。すごい数ですけれど、創造するっていうよりは日記みたいな感じなんです。スイッチの切り替えがあまりなくて、仕事で絵を描いて、休みだなと思うと絵を描きたくなってしまう。「休みだから絵を描こう♪」みたいな気持ちになるんですよ。
ただ、日記のように描いて、減るもんじゃないのかというと意外と減るものだったりして…。私の場合は、描くことがインプットにもなっている感があります。
絵を描いていると、連想ゲームみたいに次の絵が浮かぶことがあるんです。新しい、まだ描いていないものに期待が膨らむ。だけれど、今の絵を描いている間に熟されるんです。本当に描きたいのか、描きたくないのか。今の絵を描き終わった頃忘れているものはそれまでで、描いている間ずっと描きたいものを次に描くことがよくあります。

Q 個展をされる時は、毎回そのために作品を創られるんですか?

蟹江

新作展をするとなれば、会場に合わせて絵を描くことはするんです。意識的にではないけど、創る中で、会場全体のバランスをとることはありますね。その1枚というよりは、全体として。

Q なるほど。私達は1枚1枚で見がちだけれど、全体として「こういうテーマで」と展開されていくんですね。展示会に行ってみたら、その場から伝わってくるものって、1枚から伝わってくるものとはまた違うものを感じるんでしょうね。

蟹江

そうですね。展覧会を皆さんにお勧めしたいのには、そういう側面もあります。
私の展覧会に限らないけれど、原画が集合体になって1個の空間を作ってるっていうことがすごい素敵なことだなって思う。1枚の絵に出会うことも素敵だけれど、その中に身を置くことが特別だと、お客様に思ってもらえたらいいなと思います。

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ずっと絵を描いてきてどうなったか。結論として、自分のことが好きになりました。

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Q 「3.11こども文庫」や子ども達と絵を描く活動などもしておられますが、どういう経緯で活動の幅を広げて来られたんですか?

蟹江

福島県相馬市に父の親友がいて、私も小さい頃から遊びに行っていました。それとは別に、子ども達と一緒に大きな絵を描くっていう活動を全国各地でやっていたんです。子どもと描くのは面白いなと思い始めていた時、あの震災が起こって、当時市の教育委員会にいたその方から、「描きに来ないか」と言っていただきました。
水素爆発が起こってまだ数日しか経っていない時で、最初は、お絵描きなんて雰囲気じゃなかった…。だから逆に、自分が信じていた「アートの力」って何だろうと探求したくなったんですよね。避難所が閉まるまで1ケ月に1〜2回通っていました。
そうするうち、子ども達がみんな絵を描くことを好きになったんですよ。大きな紙に思い切り絵を描くのは「体育」に近いんです。身体を使って描く感覚が、子ども達に伝わったのかもしれない。
避難所が閉まってからも、一緒に避難していた先生に誘っていただいて、生涯学習の授業で描く活動を続けています。大熊町の一部が避難解除になり、新設の学校も出来て12年ぶりに町内での教育が再開されることにも携わっているんです。

Q 絵を描いていると、子ども達の変化も見えるんですか?

蟹江

見えますね。特に、あの時の福島の子たちの絵は飛躍的にどんどん変わっていったと、今考えると、思います。
ただ……だからってセラピー的な効果が出るかっていうと、私は専門家じゃないので断言できないです。絵を描くから救われるとか、そんなことは言えない。でも、子どもって、つらいとか楽しいとか関係なく、周りにおもねることなく「今、興味があること」を描くんですよね。そういうものが出た時に、すごく絵が良かったりする。
それは私たち作家でも一緒で、「良い絵が描けたな」と思う時って、自分の気持ちをきちんと乗せられた時と一致するんです。それでちょっとスッキリする感じは、私もわかります。
どこかでポンッとはじけて描けた時、少しだけ、一瞬でも救われるってことはあるのかもしれないですね。

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全国各地で開催するイベントなどを通じて、これまでに通算10万人の子ども達と描いてきたとか。

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「子ども達が集中して描いた時、圧倒的に絵が良い」と蟹江さん。無心になって描く経験が垣間見えるのがいいと言います。

Q 創作活動の全体を通して、何か伝えたいものがあったりはしますか?

蟹江

そうですね…
私が25年間、それよりも前からずっとですけれど、絵を描いてきてどうなったか。
結論として、自分のことが好きになりました。
絵を描くことがすごく好きで、描いてるから自分のことが好きだし、他人のことも好きでいられる。描くことで自分を肯定していける感じがあるんです。それ自体、自分が癒やさている行為でもあるんですよね。
子ども達には、好きなものをちゃんと持ってもらって、自分のことを好きになってもらいたいなって思います。
最近はそういう気持ちもあるかな…少し。

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文章を書くことも好きだと言う蟹江さんは、ひとつひとつの質問に、言葉を選びながら答えてくれました。「日記のように絵を描く」「ずっと描いてきて、自分のことが好きになった」と言う彼女の言葉から、描くことと生きることが一体化したような生活が浮かび上がり、その圧倒的な積み重ねに胸が熱くなりました。
■蟹江杏さんの作品には、2023年6月1日〜7日、 GINZA SIX 5F  Artglorieux GALLERY OF TOKYO (アールグロリュー ギャラリー・オブ・トーキョー)で行われる新作展で会うことが出来ます。

蟹江 杏が使う筆記具

エモット

「細い線が好きなんです。版画を始めた理由のひとつも、世界一細い線が彫れるからでした。だからペンも、細くて、ずっと描いても先が潰れないものがいい。彫るクセで筆圧が強いからかペン先が潰れやすいんですけど、エモットはすごい良くて、作品にもたくさん使っています。」

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